So-net無料ブログ作成
検索選択
出産・入院 ブログトップ

1人目混合、2人目完母 [出産・入院]

このところ周りでちょっとした妊娠・出産ラッシュである。そんなわけで1歳半を過ぎた坊やももうすっかり母乳を卒業しておっぱいのことなんか親子ともに忘れかけているのだけれど、もしかしたらこれから出産する人に役立つかもと思い、一人目の時は混合だったのが二人目では完全母乳になった経験について、もっと忘れる前に書いておきたいと思う。

お嬢(一人目)の時は、生後8ヶ月まで混合でその後1歳まで完全ミルクだったのが、坊や(二人目)は生後1ヶ月半を過ぎた頃から生後11か月過ぎの断乳までずっと完全母乳だった。一人目の時の母乳不足の苦労と、二人目の時の自分でも驚くほど母乳が出ていた経験から、なぜ一人目で出なかったのが二人目で出たのかと自分なりにつらつらと考えて、母乳が出るようになるためにはどうしたらよいのかを、僭越ながら母乳が足りなくて悩んでいる方への参考になるかもと思ってブログに書いておく。もっとも母親も赤ちゃんも千差万別なので、私がいいと思う方法も他の人には当てはまらないかもしれない。それに、別に母乳栄養オンリーでなければならないと思っているわけではない。私自身、完ミでも全く問題ないと思っている。だけど、完母があまりにラクだったので、楽したい人にはいいかと思う程度の話。

さて、結論から先にいうと、母乳が出るためには何よりも母親の「休息」と「多量の炭水化物の摂取」と「ストレスからの解放」が必要、さらに「なるべく頻回授乳」と「授乳テクニック」が必要というのが私の考え。特にまず産後は出産の疲れをとるための休息が大事で、必要があれば赤ちゃんにミルクを適量あげてかまわないと思う。一般的には母乳育児のためには、①「入院中は母子同室であること」、②「頻回に授乳すること」、③「夜中にも母乳をあげること」、④「母乳以外のもの(ミルク)はあげないこと」、⑤「母乳によい食事(和食とか?)をすること」などが推奨されている。確かに前二者は私も大事と思う。だけど、強硬な母子同室(つまり赤ちゃんを新生児室などで全く預からない)で母親に寝不足と疲労がたまってしまったら元も子もないし、母乳を数多く吸わせることができるのは、赤ちゃんの授乳時間が短い人の場合だけ。30分でも1時間でも吸い続ける赤ちゃん(うちの子は二人ともそうだった)の場合は数多く吸わせることは不可能。③については、これまでの経験から、赤ちゃんが欲しがらなければ夜起こしてまであげる必要はないと思うし、④、⑤についても特に必要がないと思う。

なぜ、そう思うようになったかというと、一般的な母乳育児に必要とされる上記の5項目は全て守っていたのに、一人目は完母にならなかったから。そして、二人目では③~⑤は守らず、そのかわり私の結論で述べた5項目を満たしたらそのうちに完母になったから。

第一の母親の休息は、何にも増して重要と思う。母親が元気じゃなければ出るものも出ない。実は私の一人目の出産病院は、母乳推進病院だった。出産までは母親の希望をできるだけかなえてくれていたのに、産後は上記の5項目を強硬に守るスパルタ母乳道場に豹変して、心身ともにものすごくつらかった。その病院では退院後8割以上は完母になるらしいので母乳道場は一定の成果をあげているものの、残り2割に入ってしまった私にとっては地獄もいいところ。もちろん多くの助産師さんは一生懸命母乳が出るよういろいろやってくれたのでそれには感謝してるけど、何人かの助産師さんが母乳のほとんど出ない私へ浴びせた冷たい言葉は、今も心の傷となっている。ただし、授乳テクニックはここでずいぶん磨かれた。

そして第二に、母乳を出すには炭水化物が必要。詳しいことは知らないけれど、血液を母乳に変換するには多大なエネルギーが必要なんだと思う。たとえば、母乳が出すぎて困っていた友達は1日ご飯(お米)を10杯食べていたというし、やはり母乳で2歳過ぎまで育てていた友達も、里帰りで実家にいたときお母さんが母乳を出すための夜食用におにぎりを作ってくれていたといっていた。お嬢の時には炭水化物の重要性は私も母(完ミで私を育てた)も知らなかったし、乳腺炎になった私はどちらかというとあっさりした和食を取るように指導されたので、普通の量の食事しかしていなかった。なので坊やの時には、とにかく炭水化物(特にお米)をたくさん取るように心掛けた。入院中の食事もほとんどパンではなくどんぶりご飯にしたし、夜中もおやつを用意して食べまくった。家でもご飯は必ずてんこ盛り。そのせいか母乳は徐々に出るようになり、母乳がでるとまたお腹がすいて自然とたくさん食べるという循環になった。

第三にストレスからの解放も大事。1人目の時は、長時間(ほっておくと1時間くらい)同じ姿勢での授乳を一日中続け、全然寝ない赤ん坊を抱っこし続けてなんとか寝かし、わずかな時間に自分の食事や入浴を済ませ、家事などとんでもない状態で1か月も過ごしたら、肩も背中もパンパンゴリゴリになってしまった。肩コリのマッサージをプロにしてもらったらもう痛くて飛び上りそうだった。母乳は血液から作られるらしいので、こんなに血液循環が悪くては母乳もたくさん出そうにない。それに「母乳をあげるのがよい母親」という押し付けも精神的に良くない。頑張ってあげ続ければ必ず出るのだから母乳が出ないのは努力不足というプレッシャーは相当母親を追い詰める。私も一人目の時は本当に寝ないで頑張ったのだけれど、限度というものがあるわけでかえって疲労で母乳が出なくなったと思う(一人目の時もいっとき朝起きたらパジャマがびっしょりになるくらい母乳がにじみ出ていたことがあったのだけど、体調を崩してしまいそれきりになってしまった)。

第四に頻回授乳は母乳が軌道に乗るまでは必要と思う。おっぱいを赤ちゃんに吸われることで母乳を生産せよという指令が脳に送られて母乳が生産されるので、その回数は多い方が早く軌道にのると思う。だけどこれもコツがいろいろあると思う。母乳をちょっと吸ってはすぐ寝てしまうような赤ちゃんだったら問題ないけれど、うちの子たちのように満腹になるまでは1時間でも吸い続けるような赤ちゃんだった場合は、頻回にしようとすると母親が過労で倒れてしまう。だから、後者のような赤ちゃんの場合は母乳を20分くらい吸わせた後にミルクを少し足して母乳が足りない分を補うようにした方が現実的。2人目の時も入院中は母乳があまり出なくて赤ちゃんの体重が8%減少したのでミルクをあげるように指導されたのだけれど、漫然とミルクをあげるのではなく「赤ちゃんが泣いたらまずおっぱいで、常に母乳を吸わせる。だけど3時間おきに母乳の後にミルクを40mL程度与える」という方法だった。赤ちゃんが長時間寝てしまったら搾乳してともかくおっぱいを刺激して母乳を出すようにするべしともいわれた。だから、結果的にはミルクをあげつつも入院中1人目よりも数多く母乳をあげることができた。

最後に授乳テクニック。これも、授乳経験のある人には常識だけれど、赤ちゃんが生まれれば勝手に吸いつくものだと思っていたら大間違い。確かに本能的に吸いつくのだけれどそのまま吸わせると乳首が切れて飛び上がるほど痛い目にあう。1人目の時は乳首は傷だらけになり、授乳が恐怖になるほどだった。それと痛いだけでなく、吸い方が浅いと母乳が出ない。せっかく吸わせても母乳を飲めないのではいくらやっても時間の無駄。赤ちゃんの小さな口の中におっぱいをがばっとつかんで放り込む感覚で深く吸わせるテクニックが必要だし、10-20分同じ姿勢でいても疲れないようなテクニックも必要。1人目の時は、壁によっかかりながら目の前に授乳クッションやテーブルを置きその上に赤ちゃんを置いて授乳していたのだけれど、首や肩が凝って大変だった。二人目の時はよっかからずにソファに座り授乳クッションだけを使ってやったけれど、かえってその方が楽だった。それと、授乳中以外に腕や首を動かして簡単な体操をしたりして疲れがたまらないようにしていたし、なんといっても添い乳をマスターしていたので、どうしても疲れた時は寝ながら授乳できたのも大きかった。

これらの私の思う必要条件には入らなかったけれど、よく母乳に必要な条件といわれるものの一つが夜中の授乳。そりゃ、赤ちゃんが夜中に目を覚まして母乳を欲しがるのであればもちろんあげるべきだけれど、寝ている赤ちゃんを起こしてまであげる必要はないし、かえってその方が有害だと思う。1人目の時は、昼間はほとんど起きていて夜中は6時間くらいまとめて寝る赤ちゃんだったので助産師さんに相談したら、赤ちゃんが起きない場合は起こして母乳を飲ませるべし、どうしても起きなければ搾乳すべしといわれた。真面目な私は夜中3時間おきに赤ちゃんを起こして飲ませてみたけれど、寝付きの悪いわが子は飲んだあとすぐに寝てくれないので寝かしつけが必要になり、私は昼も夜もほとんど寝れなくなってしまい、高熱が出たりした。二人目の時は最初こそ育児書どおりに3時間おきに泣いたので夜中の母乳もあげたけれど、生後1カ月過ぎくらいから夜中は8時間くらい起きなくなりその時は迷わず母親の体力回復(=睡眠)優先。だけど、母乳は出すぎなくらいだったし、夜は寝るものというリズムもつけやすかったと思う。

ミルクを一滴も与えないというのもナンセンス。このあたりは流行すたりもあるようだけれど、1人目の時は厳格にミルクは悪者だったのが、二人目の時はお母さんが倒れないための便利な道具と助産師さんが言っていた。ミルクのアレルギー発症率も不明だし、栄養価としてはミルクは母乳に遜色ないので、ミルクのある時代に生まれてよかった~と母子ともに感謝して、上述のようなうまい使い方で母乳不足を補えばいいと思う。ただ、ミルク中心の赤ちゃんは私の周りを見渡すと若干病気しがちで母乳の子の方がうちの下の子も含めわりと丈夫な気はする。だから可能ならミルクは補助的に使うのがいいのかなと個人的には思う。

母親の食事も和食中心である必要はないと思う。確かに詰まりやすい食べ物はあるようだけれど、食事制限もストレスだし、実家の母でもいない限りなかなか和食のちゃんとした食事など作れないので二人目は食べたいものを自由に食べた。炭水化物が母乳生産量アップに良さそうだったので(かつ母乳をあげるとめちゃくちゃお腹がすいたので)、ご飯はもちろんパンも麺もたくさん食べたし、カレーだろうがケーキだろうが迷わず食べた。おかげで母乳は出すぎて困るくらいだった(詰まりやすくてよく乳房がゴリゴリになったけれど、方向をかえて吸わせればその日のうちに解決した)。一度だけ行った実家近くの助産院では和食の重要性をこんこんと説かれ、最後にはあやうく怪しい栄養食品を買わされそうになったこともあったけれど(母乳にいいとされる”鯉こく”の粉末とかもあった、もちろん何も買わず)、ああいうのは人の弱みにつけ込むあくどい商売だなあと今は思う。

というわけで、母乳が出るようになるためにすることをまとめると、
1)赤ちゃんは誰かにお願いして、出産後は特にゆっくり寝て疲れをとること
2)炭水化物をたくさんとり、食事は食べたいものを自由に食べること(面白いくらい太らない!)
3)ストレスになることはしないこと 授乳中は好きなことをしてリラックス 外出も気分転換になっていい
4)母乳が出るようになるまでは頻回授乳すること 1日10回でも20回でも泣いたらすぐオッパイ 特に入院中は家事しないでいいのでたくさん授乳できるチャンス
5)頻回授乳に疲れたらミルクを足して休むこと ただし安定して母乳が出るようになるまでは昼間の授乳間隔は3時間以上あかない方が母乳のためにはよい。夜間は3時間以上開いても赤ちゃんが泣かなければありがたく思って一緒に寝て体を休めておくこと
6)授乳テクニックはできれば入院中にマスターすること いろいろ試して楽な授乳姿勢を見つけたり、疲れたときや眠い時には添い乳が便利なのでそれもマスターしておく。授乳していない時にストレッチをしておくと授乳の疲れがたまらない

要は、頻回授乳と授乳テクニックを磨く努力をする以外は、まったり無理せず気楽にやるのが一番ってこと。育児は長期戦なので楽に楽しくやらねば息切れしてしまう。真面目に母乳道場や助産師さんの教えを必死で守ろうとした一人目の時は授乳が苦行になってしまい授乳は大嫌いだったのが、なんでも適当に楽にやろうとした二人目の時は授乳はむしろ楽しい時間だった。もっと肩の力を抜いていれば一人目の時も授乳が楽しかったのかもしれないなと思う(もっとも頑張ったことを後悔はしていないけれど)。このブログを見て「ああ、そんなにいい加減でいいんだー」と安心してもらったり、さらに私の方法を試して「母乳が出るようになった!」という方がいれば本当に幸いだし、一人でも多くのママが母乳も含めて育児を楽しんでくれるといいな。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:育児

二人目の出産 入院編 [出産・入院]

もう出産して3ヶ月も過ぎてしまったのでだいぶ記憶が薄らいでしまったけれど、もっと忘れる前に記録しておかねばという義務感で書いてみる。二度目とはいえ、人生の一大事だったわけだし。残念ながら授乳や便の様子などを記録した紙を退院時に没収されてしまったけれど、なんとか記憶をたどってみることにする。なお入院前半(陣痛・分娩)の記録は、分娩編に書いてある。

入院は経産婦の場合は、出産当日を0日目として4日目に退院とのことだったので4泊と短め。だけど、火曜日に出産したため退院予定は土曜日となり、入院中は平日ということで訪問客も少なそうだし、沐浴指導や退院後の生活のクラスは受講する必要はないので、ゆっくり過ごせそう(ちょっと寂しいくらい?)。そして、母子同室が原則だけど、つらい時は新生児室で預かってもらえるのが嬉しい。退院後は上の子の世話もあるので、この入院中に体をしっかり休めて坊やの授乳も軌道に乗せておきたいと思った。

入院中のメインイベントは以下のとおり。

4/14(火) 0日目 午後6時頃 病室(二人部屋)へ移動。出血多量だったため夕食はベッドで。後陣痛がひどく夜あまり眠れず
4/15(水) 1日目 後陣痛で歩くのがやっと。昼頃四人部屋へ移動。夫と両親来訪。昼頻回授乳で夜12時頃新生児室に坊やを預けて、夜はぐっすり眠れた
4/16(木) 2日目 後陣痛がまだひどい。義姉と友人来訪。体重が8%以上減ったのでオッパイのほかにミルクを足す。夜は添い乳に挑戦。夜中3時ごろにギブアップして新生児室に坊やを預けた。
4/17(金) 3日目 朝、産後初めてシャワーを浴びる。昼前に4人部屋の3人が退院して個室状態に。夜お祝い膳を食べた。お嬢と坊や初対面。夫両親と兄来訪。夜は添い乳。
4/18(土) 4日目 母子ともに診察後、午前11時ごろ退院

分娩編で途中まで書いたけれど、出産当日は授乳を試みるも坊やはなかなか吸ってくれなかった。まだお腹がすいてなかったのかな。9時に消灯でその日の夜12時には新生児室に坊やを預けてしまったのけれど、その後もミルクを少し飲んだ後は結構眠ったとの事だった(確か)。

そういえば、その日坊やは胎便という黒っぽいねっとりした便をしたのだけれど、お嬢の時は生まれてすぐにして看護婦さんが拭いてくれたので、実は初めてお目にかかった。しかも男の子のお尻の拭き方がよくわからなかったので特に難儀した記憶がある。そして出産当日の晩はせっかく坊やを預けてゆっくり休もうと思ったのに、後陣痛とどこからか聞こえる電子音に悩まされ、あまりゆっくりと眠れなかった。お隣の双子ちゃんはほとんど泣かずに静かだったけれど、夜中に何度かお隣のところに助産師さんが出入りしていたので、何度も目が覚めて落ち着かなかった。

翌朝は6時ごろには坊やを連れてこられたような気がする。オッパイの苦労はこの出産後1日目から始まった。午前中は8時と10時に新生児室に連れて行くことになっていたのであまり苦労しなかったけれど、午後からはさすがに坊やもお腹もすいてきたのか、よく泣くようになった(気がする)。実はお嬢の時は昼夜逆転していたようで昼間は寝てばかりでなかなか授乳できず、頻回授乳の大切さもいまいち理解してなかったせいか母乳の出が悪かったので、今回は頻回授乳を心がけて1日12-16回ほど授乳していた。オッパイのくわえさせ方もマスターはしていたはずだったけれども、坊やのおちょぼ口癖や手が口の前に来てしまう癖が災いして、かなり苦労したし、一人目よりはマシだったけれどやはり乳首が擦り切れて痛くなった(一人目のときに購入したピュアレーンを塗ったらよくなったのだけれど、そのチューブの使用期限がなんと2009年5月。ぎりぎり使えてよかった)。

2日目を過ぎても母乳の出はなかなかよくならなかった。助産師さんがかなり頻繁に様子を見に来てくれたけれど、特に吸わせ方について直されることはなかったし、「まだ2日目だから出なくて当然よ」といわれて少し気がラクになった。そして体重が8%以上減少したので、ミルクを足すように指導された。でももともと3800g超で生まれているので、10%減っても3400g程度あるわけでなんか全然心配じゃないなあと思ったのを覚えている。それにしても、二人部屋で同室だったママは「母乳指導が厳しい」とこぼしていたけど、一人目の時は一滴たりともミルクをあげないスパルタ病院だったので、それと比べるとミルク飲ませていいなんてずいぶん優しい~と思った。

そしてオッパイは欲しがるだけあげて、それとは別に3時間おきにミルクを新生児室で与えた。新生児室には作り置きのミルクがあったし消毒した哺乳瓶も置いてあったので、行けばすぐにミルクをあげられてラクだった。ミルクは最初は20mLあげていたのがそれでは足りないようで、30~40mLくらい足したこともあった。おかげで退院する4日目には体重も増加傾向になった。助産師さんには退院後もこのまましばらく混合は続けた方がいいと言われ、「だけど上のお子さんがいると忙しいから混合は無理かもしれないですね。。。できるだけ母乳もあげた方がいいですけどね」とちょっと残念そうに言われた。確かに、混合は手間も時間もかかる。1人目はずっと混合だったけど、そのかわり一日中常に授乳している状態だった。2人目はミルクにせざるを得ない人も多いだろうなと思った。

でもとにかくミルクを足して、母親も赤ちゃんも満足しながら入院生活を送れたのは非常によかった。おかげでだいぶ体を休めることができたし、2人目という余裕もあってか赤ちゃんを可愛いと思うゆとりがあった。それと1人目のときは来客も多かったし講習もあって忙しくて、自分の食事やシャワーすら大変だったし、授乳も下手だったので授乳中に何かするなどできなかったのが、今回は「疲れたから横になって寝ようかな」と思う暇もあったし、赤ちゃんに授乳しながら携帯でメールするという技も使えたので、そういう意味でもとても快適だった。

入院中、母乳の出がイマイチだったのでそれなりにそれも苦労はしたけれど、なんといっても一番きつかったのは後陣痛。これは1人目の時には無かったこと。1日目など、10m先にある食堂まで歩いていくのもヨタヨタ。途中で休みながらなんとか歩くという感じだった。日に日に痛みはマシになっていったけれど、思わず「イタタ」と言ってしまうくらい痛かった。会陰の傷など忘れるくらい。特に母乳をあげている時にしくしく痛んだので授乳が少々大変だった。もっともそのおかげで子宮の戻りはよかったのだけれどね。

入院前から楽しみにしていたのは、食事が食堂でとれることだった。一人目の時はいわゆる病院食が病室に運ばれてきた。4人部屋だというのに全員授乳のためにカーテンを閉め切って、その中で一人でもくもくと食べるというのはなんとも味気なかったし、気分転換ができずにずいぶん滅入った。今回は、どんなにギャーギャー赤ちゃんが泣いていても、「授乳はしました」といえば預かってくれて、ゆっくりと食堂で食事ができた。食堂は大きな窓があって外が眺められたのもよかった。

食事の質はイマイチだったものの、朝食はパンとご飯を選ぶことができたし(パンが不味くご飯は母乳にいいので、毎日どんぶりご飯を選択)、昼食や夕食もオプション料金でちょっとグレードアップできたのも楽しかった。一人目の病院では(母乳のため)おやつがあったのが、今回は無かったのは残念だったけど、病院1Fのコンビニで好きなものを買えたので問題なし。そういえば、夜は授乳でお腹がすくので、コンビニで買ったクッキーをぼりぼりかじりながら授乳したりしたっけ。

あともう一つ楽しみにしていたのがお祝い膳。これも洋食と和食から選ぶことができた。洋食はローストビーフがメインで、和食はお赤飯と鯛の姿焼きがメイン。お祝いといえば当然和食じゃんと思って和食を選択したけれど、なんとその日お祝い膳を頼んだ人は私以外全員(5人くらい)洋食を選択。そういえば朝もパンを食べている人ばかりだったなあ。まあ、確かにお祝い膳を作っているところは洋食で有名なお店だったらしいので、ローストビーフも美味しかったのかもしれないけど、やっぱりお祝いっていったらお赤飯と鯛でしょー。お食事のお味の方はまあまあでした。そういえば食後のケーキは美味しかったなあ。

残念ながら入院中はタイミングがあわずに他のママとはそれほど仲良くなれなかったけれど、最後の日には4人部屋なのに個室として使えるなどのハプニングもあってゆったりと過ごせた。あとトイレとシャワーが部屋についていていつでも入れたのは便利だった。建物が新しくてきれいなのも、精神衛生上よかった。

入院中の坊やは、そのときにいたたくさんの新生児の中で一番重く、泣き声もひときわ大きかった。泣き方はお嬢にそっくりでやかましかったけれど、もう二度目で慣れているのでそれほど気にならなかった。あとどんなに泣いていても、コットに乗せてガラガラ移動すると泣き止むのが面白かった。お嬢の時はコットで移動中も泣き続けていたのと対照的。そういえば今も車に乗せているとき、車が赤信号で停まると泣き出し、青で動き出すと泣き止むけれどそれと関係あるのかな?哺乳量も他の赤ちゃんよりも多く、助産師さんみんなに「よく飲みそうね」といわれた。一旦寝てしまうと、くすぐってもホッペをつついても起きなくて困った(コットに置いたり、おむつをかえると起きた)。抱っこが好きで、泣いていても抱っこすればたいてい泣き止んだ。確かに今も、特に夜はまったく起きずにぐっすりと眠るし、抱っこすればよほど飢えていない限り泣き止む。三つ子の魂…というより、新生児の魂…という方が正確?

なんだかもう断片的にしか覚えていないけれど、退院してからは上の子に気配りしつつ混合授乳をしていたので結構大変だったことを思うと、坊やだけをお世話していればよい入院生活はやはり楽だった。入院中に体力回復できたからこそ、たった4日で退院して家で上の子を見ながら(もちろん母や義母に手伝ってもらって)家で生活できたのだろうと思う。退院後、体調は非常によく体は軽くて、産後1か月は外出こそほとんどしなかったけれど、家では寝たきりではなく簡単な家事をしたりして動いていた。入院中は、育児の大変さに慣れておくか、それとも退院後の育児のために体力温存をするか好みのわかれるところだけれど、二回の産後の入院生活の経験からは、授乳はなるべく多くする必要があるけれど、母体は育児が本格的にスタートする前の入院中にちゃんと休んでおくというのが必要だと私は思う。育児はこれから何年も続く持久走なんだからね。。。とはいっても、まだお嬢も3歳になる直前の駆け出し母なので、これからの大変さはまだ未知数なのだが。。。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

指輪忘れてた [出産・入院]

今日何気なく自分の手を眺めて、ふと結婚指輪をはめていないことに気づいた。出産入院時に、指輪を外すように指示され、その場にいた母に一旦預け、その後夫に手渡してもらったのだった。夫に「あ、指輪が無い。預かってもらったよね」と言ったら、「そうだっけ?」などと言っている。夫が受け取った時に、無くさないように財布にいれるように私が言ったので、財布を見てもらったらやっぱりあった。指輪が無いことに3週間くらい気づかないのも、毎日財布を開けているのに預かった指輪に気づかないのもすごい、とちょっと驚いた。結婚してからそろそろ9年になるけど、ほとんど指から外したこと無かったのに。まあ、人生の中でも子どもが生まれるって一大事だから、指輪みたいな小さなことは忘れちゃうんだろうけど。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

二人目の出産 分娩編 [出産・入院]

二人目の出産について、忘れないうちにどうだったか書いておく。一人目と比べてどうだったかといえば、確かに時間的には短かったので多少ラクだった気もするけれど後陣痛はひどかったし、受けた医療処置も一人目と二人目で違っていたので、一言で言えば「一人目とはいろいろ違う」、という印象(違う病院だったせいもある)。

分娩の経過はというと、一人目は入院後自然に陣痛が来たけれど、途中胎児の心拍が低下したので分娩室までは緊急搬送、酸素チューブをつけて経膣分娩、会陰切開もして、最後は吸引してようやく生まれている。二人目は入院後陣痛促進剤で陣痛をつけたけれど、それ以外は普通に経膣分娩。吸引はなし。会陰切開もしなかったら少しだけ裂けてしまった。ただし、胎盤が出た後出血多量で止血の点滴や注射をされた。どちらも医療処置が無ければ無事なお産になっていたかどうかと思うと、二回とも大きな病院で出産してよかったと思う。

今回ふりかえるとまずは一人目と同様に、二人目もまた予定日を1週間以上過ぎてしまった。41週3日で入院することになっていたので、その当日の朝まで陣痛が自然に来るのを願っていたけれど、陣痛どころか前駆陣痛やお腹の張りもほとんど感じなかった。結構上の子の世話とかあって動いていたとは思うのだけれど、運動不足だったのかな。午後1時には入院することになっていたので、午前中は洗濯をしたり上の子と夫の昼食を作ったり忙しかった。

そして午後1時には、上の子と夫と一緒に病院に入院。今回も陣痛はなく、普通の状態で入院。最初は新生児室や産婦さんがいる病棟に行ったら、「妊婦さんはこちらです」と陣痛室や分娩室のある病棟に案内された。陣痛室のある病棟は冷たく静かで味気ない雰囲気で、新生児や産婦さん達の和やかでリラックスした雰囲気がうらやましかった。でも痛いの我慢して産んだら、あちらに移動できるんだから頑張ろう、と思った。

まずは陣痛室(個室)に案内され、早速味気ない薄黄色のパジャマ(というか手術着?)に着替えるように言われた。そして、すぐにモニタをつけて、お腹の張りと赤ちゃんの心拍を確認することになった。いつもの妊婦検診の時は妊婦雑誌を手渡されるのに、そこでは何も手渡されず暇だった。少しして夫と上の子と夫の母が来て、上の子は私を見てしきりに「何してるの」と言っていたけれど、特にすることもないのでそのうち彼らは帰っていった。上の子とはしばらく会えなくなるので、抱っこしてバイバイしたけれど、お祖母ちゃんの家に行くというのでうれしそうだったのでほっとした。

1時間ほどのモニタの間、2回くらいお腹の張りはあったけれど、それだけだった。その後は、夕方に子宮口を広げる処置があるかもしれないのでシャワーを浴びておくようにと言われたので、陣痛室内のシャワーをさっと浴びた。その後はすることがなくて暇だなと思っていたら、今度は母が来てくれた。ほどなくしてお医者さんが現れて、これから行う子宮口を広げる処置、明日行う陣痛促進剤の説明と、万一の輸血の際の同意書を持ってきた。医療処置の必要性と危険性をわかりやすく説明していただいたけれど、母は出産で同意書なんて見たことが無かったらしく少しびっくりしていたようだった。陣痛促進剤は効きが悪い人もいるらしく、その場合は2日かかったりするといわれ、ちょっとげんなり。速く進むといいなあと思った。

その後処置をするので分娩室に呼ばれたけれど、子宮口はすでに3センチ開いていてミニメトロ(水風船)をいれてもすぐに落ちてしまうため、処置はしないことになった。多分痛いだろうし、お風呂にも入れないといわれていたので、しないことになってほっとした。そこで渡された紙パンツが非常に履き心地が悪くて、そのまま着用するように言われたけれど、陣痛室に戻って普通の下着にすぐに換えてしまった。

陣痛室では運ばれてきた夕食を食べたらその後は何もすることがなく、また特に行動を制限されることも無かった。陣痛室の周りを歩いてもいいし、明日に備えてゆっくりするのもいいと言われただけだった。じっとしていても仕方ないので、母につきあってもらって病院内のコンビニにいって雑誌を買ったり、病院内の階段を歩いたりした。面会時間終了後は、お風呂につかったり、雑誌を見たり、陣痛室の周りを30分ほどうろうろと歩いたりした。少し歩いたおかげか、多少張りが増えた気がした。

夜は10時には消灯。明日に備えてぐっすり寝ておくようにと言われたけど、病室のベッドは硬かったし部屋は暑かったので寝心地が悪くあまりよく眠れなかった。手元に電気のスイッチも無かったから途中まで電気もつけっぱなしだったし。。。だけど、夜中何度か看護婦さんが見回りに来たのはあまり気がつかなかった。

翌朝は6時前から、血圧・体温測定と始まり、朝7時前には点滴の針を左腕にさされた。点滴は生まれて初めて。刺しっぱなしの針がちょっとひきつれて少しだけちくちくした。その後トイレに行ったら、おしるしらしきものがあった。内診してもらったら「子宮口はもう5センチ開いているので、薬をいれて赤ちゃんが降りてきたら速いですよ」といわれたので少しうれしくなって、「よし今日産むぞ~!」と思った。そして、7時から1時間ほどモニター。昨日よりは張りが多かった。そしていよいよ8時前に分娩室に移動。8時20分頃から、陣痛促進剤アニトンの点滴を開始。と同時に朝食。張りは増えたけれど、食後は時々うとうとした。

9時20分頃になって、薬の量が60→80mL/minに増加。張りが強くなって、少し汗ばむようになった。だけどまだ大丈夫。そして10時には薬が100に増加。薬を増やす係りの人は「MAXで200まで上げられるし、ゆっくり増やすから心配ないですよ」と言っていた。薬を増やした途端に、張りは2分おきになった。10時20分には薬は120に。だいぶ痛みがきつくなってきた。その頃、点滴をしたまま一度トイレに行き、あとは助産師さんがアロマの準備と陣痛に耐えるための椅子を持ってきてくれた。10時40分には薬は140に(ここまではなんとか、メモに記録する余裕があり)。この頃からだいぶ陣痛がきつくなってきた。

それにしても立ち会う予定の夫には朝から逐次連絡して、10時前には「だいぶ陣痛きつくなってきました」とメールして、「病院に近づきました」と返事があったのに、11時近くなってもまだ来ない。確かに、10時の時点では余裕があったので「急がなくてもいいよ」とは書いたものの、その後はどんどん薬が増えたので陣痛がどんどん強まっていた。助産師さんにも「旦那さん来るの?」と心配されてしまった。そして11時半には破水して痛みが強くなって、もう笑う余裕も無くなった11時40分頃、ようやく夫が来た。

後で聞いたら、夫はクリーニングに出していた洋服を取りに行ったり、コーヒー屋で出されたアイスコーヒーを飲んだりとのんびりやっていたらしい。まあ確かに、10時には「家に忘れたメイク落としを持ってきて」などとメールしてたくらいだったから仕方ないけど、破水した時は「こんなに痛いのになんでまだ夫来ない~!」と思っていた。夫は本当はお昼のお弁当を買いに行くかどうかも悩んだらしいけれど、11時ごろ私にメールや電話をしても返事がないので、「これはそろそろまずいかな」と思ってお弁当はあきらめて病院に向かったらしかった。

破水後は痛みがかなりきつくなってきた。一人目の時は動転していて呼吸法も赤ちゃんが降りてくることも何もかも忘れていたけれど、二人目は痛いながらも「痛くないときは力をぬいて鼻から息を吸って赤ちゃんに酸素を送って、痛みがきたら長く息を吐く」とか「この痛みは赤ちゃんが降りてきている痛み」などと思っていた。ただし、運ばれてきた昼食は痛みでとても食べられなかった。そういえばバースプランにはフリースタイルで出産してみたいと書いたせいか、途中いろいろと姿勢をかえてみたのが(今となっては)面白かった。仰向けでもかなり背を起こしてほぼ座った状態にしたり、夫の首につかまってしゃがむ姿勢をしたり(←これはいきみ方がわかりやすくてよかったんだけど、足が疲れてしまって途中でやめた。このおかげで出産後も足がガクガクになってしまった)。

それにしても今回は陣痛促進剤のせいか、一人目の時は産まれる間際はひっきりなしに痛みがあったのに、最後までお休み(痛くない)の時間が意外と長い感じだったのが助かった。だけど痛くない時間に、「次また痛いのが来る」と思って身構えてしまい体が硬くなっていたかもしれない。痛いときはひたすら「早く生まれて~」と思ったり、「ああやはり無痛分娩にするんだった」などと思ったりしていた。

そして何度も陣痛に耐えているうちに、内診したお医者さんが「排臨」などと言っているのが聞こえた。頭が出掛かっているってことかな?何度かいきんでいるうちに、最後は裂けそうなギリギリとした痛みに。「痛い痛い!」と叫んでいた記憶がある。すぐに「あー、頭出たよ!ハッハッハという呼吸にして」といわれ、そうしようとしたら「あれ、まだだった、もう一度いきんで」と言われた。どうやら頭が長くて(?)、一度では頭が全部出切らなかったらしい。そしてもう一度いきんで、午後1時4分に3844gの男児を無事出産。痛みも無くなった。「うわー、大きいよ!」と言われて、お腹に乗せてもらったら温かくてずっしり重い。無事に生まれてうれしかったし、子どもは二人と決めていたので「ああもう終わった。今後はこの痛みを味わうことはないんだ」と思ってうれしかった。それにしても、かなり大きい赤ちゃんでびっくりした。どうりでお腹が大きかったはずだよ。

赤ちゃんはすぐにどこかに連れて行かれてしまって、後は胎盤を出すだけ。でもなかなか出なかった。そして、その後は出血多量とのことで、止血のためにおなかをグリグリ強くマッサージされた。これがまた結構痛くてずっと「痛い、痛い」と言ってしまった。せっかく陣痛が終わってラクになったのに、今度は違う痛み。出血はなかなか止まらないらしく、そのうち点滴で止血剤を入れられたり、お腹に注射されたりした。その間もずっとお腹は強いマッサージと保冷剤で冷やされる。これはどのくらいの時間やっていたかわからないけれど、助産師さんやお医者さんがたくさん集まってきていたのがわかった。そのマッサージと平衡して、裂けてしまった会陰の縫合。こちらは麻酔してもらっていたので全然問題なかったし、裂け具合も4段階のうちの1で一番軽かったそう。こんなに赤ちゃんが大きかったのに軽い裂傷ですんだのはさすが経産婦さん、とほめられた。

私の処置の間は、ちょうど母も病院に来ていて、二つとなりの分娩室に移動していた夫は体重を測ってもらった赤ちゃんを抱っこして一緒に写真を撮ったりしていたらしい。だけどふと気づくと部屋に誰もいなくなって、「妻は?」と聞くと「処置中です」と言われるだけで、何か問題があるのかと思ってちょっとどきっとしたと言っていた。

出血はだんだん少なくなったため、私は着替えをしてもらい、その後夫と母と赤ちゃんが私のいる分娩室に運ばれてきた。赤ちゃんは目は開いているのに泣いていない。おっぱいは吸わせようとしたけれどほとんど吸わなかった。時々助産師さんが来て出血のチェックをする以外は、夫と母と赤ちゃんと私の4人で過ごして、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしていた。普通は出産後2時間で部屋を移動するのだけれど、2時間後も出血がまだ多少あったのでトータルで3時間以上分娩室で休んだ(といっても寝たわけではなく、ひたすらおしゃべり)。赤ちゃんは途中で新生児室に連れて行かれてしまった。その日は出産がそれほど多くなかったので、ずっと同じ場所にいられてラッキーだった。

そして午後5時半頃、車椅子に座って念願の明るい新生児と産婦のいる病棟へ移動。すぐに部屋のトイレに行ったけれど、さすがに出血が800mL以上あったので少しふらふらした。病室は二人部屋だったのに、隣からは2人の赤ちゃんの泣き声が。。。なんとお隣は双子ちゃんでママは大変そうだった。ところで、出産した日は朝起きてから窓の無い陣痛室、分娩室にずっといて、病室も廊下側だったのでお天気がわからず、あとからすごい雨が降っていたと聞いてびっくりした。外の世界とは隔絶された一日だったなあーと思った。

その後も母子同室だったので時々授乳するも、赤ちゃんはおっぱいをあまり吸ってくれなかった。お腹すいてなかったのかな?夜は眠りたかったので12時には新生児室に預けてしまったけれど、後陣痛の痛みがあったのと、部屋の向かいの新生児室のドアが開閉するたびに「ピッピー」という電子音がなってうるさくて、あまりよく眠れなかった。でも、とにかく分娩は短く済んでよかった。さてそして、明日からは授乳で寝不足の日々になるわけだ。。。(入院編に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:妊娠・出産

陣痛起こしてビッグに誕生 [出産・入院]

4月14日午後1:04に3844gのビッグな男子を無事出産!大きくなり過ぎて産むのも大変だったけど、産んだ後は体が大きいだけあってすごい食欲で授乳が大変!二人目は後腹もキョーレツに痛いし。でも無事産まれて良かったし、一人目よりは少し余裕がある分赤ちゃんの可愛さを楽しめる感じ。でも退院したら大変だろうなぁ
nice!(0)  コメント(0) 
出産・入院 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。