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坊や5歳おめでとう [2人目育児(5歳)]

光陰矢のごとし。記事書いてから早3ヶ月も経ってしまったが、坊やが5歳になった記録をアップしておく。

保育園のクラスで一番乗り、4月に坊やが5歳になった。なんだか年月が加速して過ぎる感じがする。もう生まれて5年もたつのか…。そして保育園に通って4年。逞しくなったものだ。一方、私は職場復帰して4年か。坊やの4年の方が絶対成長してるなー。

誕生日プレゼントは自転車ということでまずトイザらスに行ったら、恐竜のフィギュアもどうしても欲しいというので、オマケとして購入した。ただし誕生日お祝い前日だったので、購入した日には袋から出さずに翌朝まで我慢していて偉かった。自転車は数件のお店を見て、結局お祝い当日に自転車屋さんで購入した。補助輪付きだけどお嬢の自転車より少し大きい自転車となり、お嬢も自転車を買い替えたそうだった。

お祝いは、坊やの好きなコーンスープや唐揚げ、苺いっぱいのケーキを作った。ケーキの飾りつけはもちろん、卵の泡立てや粉混ぜなども子ども達がやってくれるようになった。お嬢がクッキーまで焼いてくれた。

坊やは最近は恐竜を好きになり、パパのお土産の恐竜発掘キットに予想以上にハマった。ゴーグルを着けて石膏中に埋められた恐竜の化石を、小さなプラスチックのタガネとトンカチで少しずつ削りながら取り出すという地味な根気のいる作業を、何時間もやり続ける姿はミニ恐竜博士さながら。休日も朝早起きして着替えやトイレを済ませて一人で熱心に石を削っていたりする。すっかり少年になっていたんだね。

図鑑も大好きでよく見ている。特に恐竜図鑑は大好きだけど、恐竜の名前は全部カタカナなので一人では読めなかった。最初は絵だけ見ていたようだったけれど、たまたまDVD付きの図鑑だったので耳で聞いて覚えたらしく、ほとんど教えていないのに勝手にあっという間にカタカナを読めるようになった。好きだから知りたいという原動力はものすごいパワーなんだなあとしみじみ思う。

ひらがなとカタカナを読めるようになった坊やは、次第に字を書くようになった。もちろん鏡文字も書くし、書き順もメチャクチャだけど、お嬢も最初はそうだったので特に矯正しなかった。すると自分から、お姉ちゃんが習っている書道を坊やもやりたいと言うようになった。絵筆と絵の具で絵を描く楽しさも覚えたせいか、何度聞いても書道やる、と言うので体験をやらせてみた。途中で寝転んだりふざけたりしていたものの、楽しそうだったし、続けたいと言うので、入会することにした。お姉ちゃんと同じ場所、同じ時間なので、親の送迎負担が少ないのも助かる。ママが何も言わなくてもお稽古の時にはちゃんと脱いだ靴を揃え、最後にはきっちり「さようなら、ありがとうございました!」とご挨拶するので、先生の方がビックリ!!こういうの、坊やはホント上手なんだよね~。

あと最近は、風呂栓を抜くお手伝いを毎日してもらっている。その後お姉ちゃんがお風呂洗いとお風呂沸かしのお手伝い。おかげで帰宅後は料理に集中できるようになって少し楽になった。ビデオとネットTVの操作も自分でだいぶできるようになったのも、親としては楽(ただしテレビの見すぎに注意が必要)。

そんな少年らしくなってきた坊やはママ大好きの甘えん坊でもある。ベタベタとママにくっついてきたり、ママ抱っこやママ食べさせて、なんてのもまだまだよくある。そのくせ、保育園の先生には言わないで、とのこと。彼なりのプライドがあるのでしょう。男の子はそのうち大きくなるとどんどん変わっていって、ママから離れていくんだろうな~と思うと、寂しいのでこちらも期間限定と思って甘えさせることにしている。まあ、逆に大きくなっていつまでもママベッタリでも困るしね。

まだまだ想像つかないけれどどんな大人になっていくのかなあ。上に書いたように彼は要領がよくて、コミュニケーションが上手だ。だからきっと世渡り上手だろう。それに論理的で、全体像が見える。彼は常に理由を述べている。「〇〇なんだよ、だってさ、××だからだよ」と言う話し方をするので、それなりに説得力がある。動物園や博物館に行くとまずざっと何があるか眺めてから、好きなところに向かう。だからパッと目につくものに引き寄せられるお嬢と一緒に連れて歩くのは大変。

これからも良いところを生かして逞しく成長してくれますように。
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学童のお弁当プロブレム [学童]

もうそろそろ1学期も終わりというタイミングになってしまい、またいよいよ夏休みのお弁当が始まってしまうのだが3ヶ月ほど前に書き始めた記事をアップしておく。

今年4月、新学期が始まりお嬢は小2に進級した。つまり春休みの学童のお弁当が終わったということ。バンザーイ!!学校サマサマである。思い返してみればこの1年、学童のお弁当もイロイロあった。

最初は昨年の4月1日からだった。切りよく月曜日からのスタートでまるまる一週間、3月中は保育園で毎日給食だったのがいきなり毎日お弁当となり、非常に大変だった。それまでも遠足などでお弁当を作ったこともあるけれど、1日かぎりだったので勝手が違う。一週間毎日同じメニューという訳にもいかないし、自分のお弁当のように前の晩のおかずばかりというのもかわいそうだ。頭を抱えながら朝早起きして、ようよう作った。入学式後も慣らし給食とやらで弁当作りが数日間続いたのも苦しかった。

そして数ヶ月後にキョーフの夏休みがやって来た。夏場なので衛生状態も気になるところ。でもお弁当クラブというありがたいシステム(出来合いのお弁当配達)のおかげで、週に2回はお弁当作りなし!さらに週に1度のレトルトデーでご飯詰めるだけの超楽チン弁当。6週間の夏休みのうち一週間は家族旅行、もう一週間あまりは両実家に預けて、期間を実質4週間弱に縮め、お弁当作りの負担を軽くした。

冬休みは短いので楽勝!お弁当クラブとレトルトデーもあったので、実質数日間のお弁当作りで済んだ。そして最後は春休み。こちらも短いので楽勝かと思いきや、お嬢は出来合いのお弁当は美味しくないし、量が多すぎて嫌だという。レトルトも嫌がるので毎日ちゃんとお弁当を作る羽目になった。メニューもだんだんマンネリ化してしまい、慣れてはきたけれど、結構しんどかった。まあ、母のお弁当の方が美味しいと言ってくれるのはありがたいけどね…(でもしばしば嫌いなものは残してくるのは腹立つ)。

そして学童のお弁当で本来筆頭にあがるべき事象が、お弁当忘れ事件!これが運悪く小2の4月になってすぐだった。4月には20人もの新1年生が入り、先生も新しく転任してきたばかりの先生という状況で、本人パニックになり大騒ぎだったらしい。パニックの理由は、本人は確かにお弁当を持って家を出た、という確信があるのに、何故かお弁当が学童に無かったから、らしい。分からないことにぶち当たると思考が停止するようで、家から持って来たはずのお弁当がどういうわけか消えた!?というところで訳わからんちんになってしまった模様。

昼休みに学童から電話がかかり、お弁当が無いようですが…と言われこちらもビックリ仰天。えー、ちゃんと階段にお弁当置いたよ、と言ったし、その後階段にはお弁当無かったのに~!?しかしこちらで焦ってもあいにく職場が遠いのでどうすることもできず、先生にお任せするしかない。通学路を少し探して無ければコンビニでおにぎり等を買ってくれるというので、ありがたくお願いした。あ~あ、朝早起きしてお弁当作ったのになあとちょっと脱力。しかし何よりもお嬢の狼狽ぶりが想像できてかわいそうでもあった。

結局お弁当はどこにあったかというと、家の玄関前に置いてある自転車の後部座席の上!!私が夕方帰宅時に発見した。いってきますとお弁当を持って家を出た直後にコートか靴を履いたりする時にちょっと置いてそのまま忘れたらしい…。お嬢はコンビニのおにぎりは好きじゃないので、恐らく相当懲りたはず。翌日からは本人にも自覚を持ってお弁当を持参してもらうだけでなく、お弁当を入れた保冷手提げごとリュックに入れるようにした。パパはお嬢はよい経験をした、とむしろ好意的だった。

まあいずれにせよ学校の給食が始まり、お弁当が終わって本当にホッとした。睡眠時間も少し増えた。次回の夏休みはパパにも作っていただこう。そう言えばお嬢がおにぎりを自分で作って飾りつけしたりしたことも何回かあった。本人にお弁当を詰めさせたりするのも増やしていこう。それにしても中学、高校時代に私の母が毎日お弁当を作ってくれたのには今更ながら頭が下がるが、お弁当作りを始め家事全般は母親の仕事ではなくできる人が、というようにしていきたいなー。母がいつも健康でニコニコしていられるようにもね…。
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わが家のおさる [2人目育児(4歳)]

最近、わが家には一匹おさるがいる(時々二匹)。もちろん本物の猿ではない。おさるのジョージを真似た小さい人である。おさるのジョージは現在毎週TVで放映中なのでわが家では毎週録画してある。坊やはジョージをいたく気に入り、録画を毎日のように見てはウキー、とかアハーなどの言葉はもちろん、ジョージがやること全て真似している。

坊やは、ジョージが地面に穴を掘れば自分も保育園の砂場で穴を掘り、ジョージが指人形とステージを作れば段ボール工作でステージを作る。ジョージがケンパ遊びをすれば白い紙にケンパ遊びの数字を書いて足で踏みつける。先日は写真撮りたいというのでスマホを貸したけれど、そういえばジョージもデジカメで写真を撮っていた。数十枚の彼の撮った居間の写真を見たら、大人が絶対撮らないようなもの(自分の足とか床やカーペット、ガスコンロ、洋服ダンスの中、電気のスイッチ等)の写真だったり、目線が低くて面白かった。彼の見えている風景は大人とは違うのだと気づかされた。

これらは全てTVの真似だとしても自発的に彼が始めた、という点がすばらしいと我々夫婦は思っていて、温かく見守っている。真似と言ってもTVと全く同じにはできないので、彼なりに工夫して少し変更しているのもあっぱれ。これまでは保育園から帰宅するとすることがなくすぐに仮面ライダーなどのTVを見たがったけれど、最近おさるのジョージを真似る方が楽しいらしく、色鉛筆、鋏、ガムテープ、段ボールで何やらごそごそ工作するようになった。それが一通り済むとまたおさるのジョージを見てネタの仕入れ(^^;

これほどまで夢中になれるTV番組もそう無いだろうと思うと、おさるのジョージはよく出来た番組なんだと思う。確かに大人が見ても面白いし、なんと言ってもおさるのジョージのなんでもやりたくなっちゃう好奇心と数々の失敗、人を喜ばせるためにどうすればいいかを試行錯誤で乗り越える部分が、たまらなく坊やの感覚ににぴったり来るようだ。

ちょっとネットで検索したら、おさるのジョージをすばらしいと絶賛する人もいれば、嫌いという人もいるようだった。嫌いな理由としておさるの行儀が悪いから、と書いている人もいたのには少しビックリした。う〜ん、まあ感性の違いかな…アメリカの番組だし、アメリカは一般的に日本人から見るとお行儀悪いと思うからそこは差っ引いて見ないとなーと思うが。でも、おさるのいたずら、失敗、試行錯誤こそが子どもというか人間の本質そのものだと思うし、おさるの経験こそが生きる力を磨く方法だと思うから、そういった哲学を子どもにも面白おかしく伝えているおさるのジョージは本当にすばらしいと私は思う。まあ好みの問題だけどね。

ところでこのおさるのジョージ、原作は絵本である。もうページが黄ばんでボロボロの絵本が実家にある。夫の子ども時代からあったのかは不明だけど、古さは十分昭和30-40年代風。実家にいくたびにお嬢も坊やもよく読んでいた。それがTVでやっているのは知ってはいたけれど、TVほぼ無し生活だったので忘れていた。去年ようやくTVを買い、毎週簡単に録画、再生可能になったので、絵本に遅れること数年後の今ブームになったという訳である。話の内容は絵本とほぼ同じものもあれば、知らないものもある。そういえばデジカメとパソコンとプリンターが出てきた話もあったため、かなり最近の習慣も取り入れられて子どもも取っつきやすそうである。

この番組のさらに良いところは英語でも見られること。少々難しいけれど、英語の音に慣れるのにもってこい。YouTubeで見れば他の言語も豊富。何語であってもおさる語は万国共通なので、坊やはお構い無しだった。ただ最近ではストーリーを楽しめるようになってきたので、英語では意味が分からないらしく、最近では英語は嫌がり日本語オンリーになってしまった。ちょっと残念だけど、ストーリーを完全に覚えてから英語に挑戦してもいいかなと思っている。

まあでも楽しいのが一番!

坊やの撮った写真 ガスコンロ(大人はめったに下から見ることなんかない)とひこうき(意外と本物っぽいアングル)
ガスコンロ.JPGひこうき.JPG
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小1の壁と小1プロブレム [小学校]

今回は少しデリケートな話題。小1になった子を持つ共働きのわが家ではご多分にもれず広い意味での小1の壁にまんまとぶち当たった。小1の壁というのは、働く母親の時短勤務等が無くなる一方で、保育園の手厚い延長保育がなくなるので、働き方を変えたり仕事をやめたりせざるを得なくなることと一般的にはいわれている。しかし、それはもちろん大問題ではあるけれど、もっと広い意味での小1の壁があったのだ。私はなかなかそれに気付かず、イライラ毎日をこなしていた。

振り返れば、年長の秋くらいから卒園準備に入学準備、学童の説明会。4月には1日からいきなり毎日の弁当作りが始まり、入学式が終わって数日して給食が始まりほっとするのも束の間、学校やら学童の保護者会もあれば、授業参観もしょっちゅう。学校に遅刻させず、忘れ物をさせず、都度授業に必要な持ち物を準備して、ハンカチテーブルクロス、たまに割烹着にアイロンかけ。連絡帳は学校と学童と保育園(弟の分)の3冊。お知らせプリントも一気に3倍に増加。宿題もチェックして、通信教育の丸つけ。さらに途中からバレエに加えてピアノと書道を始めたので、親子共に忙しさも3倍に。スケジュール管理も必要となり、月謝もファミサポ含めて4箇所分、金額も支払い方法も支払い時期もバラバラ。それに加えて下の子の保育園の役員会に出たり、バザーの準備をしたり。そんな大変でも、家事の量は変わらない。夕食作りに後片付け、洗濯物畳み等々…。睡眠時間はどんどん削られていった。そこへきて夫が海外出張と深夜残業で1か月ほどほとんど使えず状態!!母親の私にしわ寄せがきて挙げ句の果てに母親の私が手足口病となりダウンして、夏休みに突入した。夏休みと言えば再度毎日の弁当作り!それに宿題チェック、ラジオ体操。その後はバザー、運動会、七五三と続き、ふと気づくとあっという間に1年が経過していた。

夫も協力しなかった訳では無い。下の子の保育園の送りと朝食作りは出張でいない時以外はやってくれたし、適宜色々話はしてはいた。でも私は夜中遅くまで全く自分の時間が取れないのに夫が横で仕事したり運動をするので余計にストレスがたまっていった。何で何かやろうかと言ってくれないのよ!!と。もう限界だと思って何気なく学童に関するネットを見ていたら、妻が小1の壁に当たり、夫である自分はそれに全く気付かなかったいうブログを発見、はたとこれが世に言う広い意味での小1の壁か〜と気付いた。

なにも預かり時間が短くなるだけの問題ではないのだ。保育園では必要なかった諸々が突然卒園と同時に始まり、当然昨日まで園児だった子どもが全部こなせる訳もなく、親が何かとフォローすることが必要になる。しかも保育園と違い、小学校は「平日昼間家にいる母親」が子どもの面倒をみる前提なので、働く母親にはキツいことが多い。こうして子どものフォローでどんどん無理を重ね、だけど職場ではもうお子さん大きいから楽でしょとハードワークを期待され、一人で全部背負って頑張りすぎて心身のバランスを崩したりする人も多いだろうなーと思う。

うちの場合は夫は本来とても協力的なのに、小学校と学童に関する全ての新規案件を私が担当してしまったため、どうやら夫は手も足も口も出せず状態だった、というのに1年経ってようやく気付いた。夫に、上の子が入学してから生活は変わった?と聞いてみたら、ちょっと子どもと距離ができたという。なぬ、こちらは子どもの生活に振り回されているというのに。これを聞いてからはこれまで全部自分が背負ってしまったことに反省して、少しずつ分業し始めた。例えば秋の個人面談は学童と保育園は私、小学校の個人面談と保育参加は夫が分担した。それで少し楽になった。

しかし夫は元々協力的なのに何故そんな事になったのか…?学童はたまたま夫の仕事の都合で参加しそこなったことがきっかけだ。そして小学校では母親参加がデフォルトなので夫に頼みにくいの理由だ。学童に関しては父親参加率は高めだけれども、小学校では土曜参観や運動会以外は父親を見ない。保護者会は全員母親だった(保育園や学童では父親も来る)。小学校関連は母親の仕事という思い込みが私にもあったかもしれない。元々協力的ではないご主人も多いだろうと思うと、働く母親の孤軍奮闘が目に浮かぶ。それにうちは大変と言っても、下の子がいるのでまだ時短を利用できる。子どもが保育園を卒園すると同時に時短不可になる母親はさぞや大変だろうと思う。

ところで話は飛ぶが、年末の小学校保護者会で、お嬢のクラスで2学期以降、小1プロブレムが発生していることを知った。男の子同士の傷害事件も勃発していて授業が遅れがちなのだそうだ。寝耳に水の話で驚いたけれど、よくよく聞くと傷害事件の加害者の児童も授業中にたち歩く数人の児童もほとんど学童に通う児童で、被害者の子は幼稚園出身(但し全員男子のみ)というのでそれもちょっとショックだった。そして問題児童達の保護者は仕事のため?か揃って保護者会欠席…(今回私は偶然出席できて良かった〜)。専業ママ対共働きママという構図が思い浮かび、少しげんなりした。

第一の理由として、やっぱり保育園あがりは親が放任しがちだからなのだろうか?それも無いとは言えないのかもしれない。親も子どもが就学してからは環境も変わり自分のことで手一杯という人も多そうだ。第二に保育園は幼稚園と違って机に向かい、いすに座る訓練をしてくれないから?う〜ん、それもあるかもねえ。確かに幼稚園は教育機関だけれども、保育園は家庭の延長という位置付けだ。子どもにとっても環境が激変だろう…。
と色々考えているうちに、保育園出身の子の働く母親の「小1の壁」に思いがいたり、それと小1プロブレムって実は無関係じゃないのではと思い始めた。

入学当初は頑張っていた子ども達もだいぶ小学校生活に馴れて、小学校への不満が出てくる頃なのかもしれない。保育園では必要なかった諸々…45分間教室に座りっぱなし、休み時間も自由に遊べない、授業の勉強はつまらない、宿題は面倒くさい、持ち物は多い。不適応状態が続いて一人の子どもが、保育園で培われた自己主張力を発揮して、学校に反抗する。先生がそれを押さえきれなければ他にもいた不満児童が同調していくのは目に浮かぶ。そんな時、働く母親は職場では保育園時代と違い長時間労働を求められるので、子どもに目が届きにくい。母親のフォローの少ない保育園出身者がこぞってつまづき、次々と授業に反抗するのではないだろうか…。

まだ1年生なので、結局は担任の先生がいけないことを毅然とした態度で止めることで大方は解決するようだけれど、先生も万能ではない。あまりにもひどい授業妨害があればその子に付きっきりになるか、無視するかしかなく、一人ではキツいだろう。そんな時、母親、もとい保護者のフォローがあればより良い方向に行くはずだ。子どもも保護者もはじめてだらけで混乱しているのではないだろうか。

切りがいいせいか時短勤務は就学前で区切ることが多い(うちの会社も)が、子どもが1年生の間くらいは保護者が時短勤務や学校行事休暇を取れるような働きやすい環境にしてくれないと、小1の壁だけでなく、下手すると小1プロブレムまで勃発してしまうのでは…と思うようになった。まあ雇う側からすれば1日でも早く通常勤務に戻して欲しいところかもしれないが、小1プロブレムは共働き以外の家庭の子どもにも影響が及ぶ。

そもそも小1というのは義務教育の入り口であり、そこでつまづく子どもがいるというのは、ひいては日本の教育に影響するほどのこと。子どもは経営者と異なり声をあげることはできないので無視されてしまうけれど、その代わりに将来の日本を背負って立つ人間が育たなくなったら日本人全員が困るのでは…。そんな由々しき問題に自分が直面するとは思っていなかったけれど、今共働き問題と言えばすなわち待機児童問題と思われていて、それはもちろん問題だけれども、だからといって保育園さえ作れば全部解決という話ではなく、むしろ保育園生活はようやく共働き生活のスタートラインに立ったというだけのこと。待機児童問題が仮に解決したとしたら、次は共働き家庭の子どもの小学校生活が新たな問題となることは時間の問題だろうと思う。

まあ、そうは言っても保護者も振り回されてすったもんだの挙げ句、色々な理由により徐々にクラスの立ち歩きも減ってきたらしい。子ども達も少しずつ成長して小学校という世界に慣れてきたのだろう。隣のベテラン先生のクラスでは、先生が子ども達に手取り足取り教えすぎて、隣のクラス(お嬢のクラス)の子どもに比べて自主性が育っていないのではと心配されていたとのこと。まだ小1なので手取り足取りでも全く問題ないどころかむしろいいとも思うけれども、小1プロブレム勃発状態のクラスであっても自主性が育っていたとしたら不幸中の幸い、というか、何が幸いするか分からないなーと思う。

そうこうしている間に小1も修了。でも入学以降、共働き家庭の育児の難しさは未就学児とはまた違う段階にきていると感じる。次は小4の壁問題も待ち受けているし、高学年の学級崩壊は低学年に比べてかなり悲惨と聞くし、その後は中1の壁もあるとか…。問題の性質が変化しながらまだまだ子育ての悩みは続くようだ。でもこれぞ人生なんだろうな。悩みもあるけど子どもにはそれ以上に喜びも楽しみもたくさんたくさんもらっている。前向きな気持ちで親も子どもと一緒に楽しみながらともに成長したいな!
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祖母の形なき形見 [雑感]

先日お嬢に子ども用の辞書を買ったら、付録に百人一首のポスターがついていた。懐かしい感じがしてお嬢にいくつか読んであげたら喜んでくれたので、次々に読んだ。百人一首は棒読みでは風情が無い。五七五七七で抑揚をつけて唄うように読む方がしっくりくるなぁと思って読んでいると…ふと気づくと私の頭の中には昔祖母が読んでくれた百人一首の声が聞こえてきた。そうだ、お正月冬休みに祖母とよく百人一首やったっけ!祖母がいつも札を読んでくれたんだった。

百人一首をやったのはきっと私が小学生か中学生くらいの頃だったろう。今から30年以上も昔の話だ。祖母が亡くなったのは7年前。こんな風に祖母の声が30年以上もたってから突然よみがえってくるなんて思ってもみなかった。不思議さと懐かしさの気持ちで一杯になり、祖母にもう一度だけ会えたらどんなにいいだろうと思った。と同時に他にも祖母と過ごした時間や妊娠中で祖母のお葬式に出られなかったことを思い出して、少し涙が溢れてきた。

私の母方の祖母は、母が幼少の時に亡くなったので、私にとっての祖母と言えば事実上父方の祖母のみである。祖父達よりも長生きしてくれたので、同居していたわけではないが、一緒に過ごした記憶は結構ある。特に祖母が転んで肩の怪我をした時には、父が祖母を家に引き取ってしばらく面倒を見た(実際には母が世話をした)ので、一緒に過ごした時間が結構あった。祖母は家事もせず暇だったのだろう、祖母の家に遊びに行った時よりも私の相手をしてくれた。百人一首を読んでくれたのもきっとその時だったのだろうと思う。詩吟や大正琴を習っていた祖母は朗々と読み上げてくれた。

話は飛ぶが、父方の祖父は私が幼稚園の時に亡くなった。だから記憶はほとんどないけれど、優しくて膝に乗せてもらったこと、字が上手で筆でお手玉に名前を書いてくれたこととその文字の形はよく覚えている。もうそのお手玉もどこかへ行ってしまったけれど、あれがお爺ちゃんの形見で、色や形や手触りは私の頭の中に焼き付いている。母方の祖父は私が高1の時に亡くなった。いつもニコニコしてたけれどくしゃみが大きいお爺ちゃんは時折年に数日間泊まりに来るくらいだったし、口数も少なかったし、晩年は歯が無くなって発声が聞き取れなかったので、なにか一緒にした記憶はほとんどない。でも小学校入学祝いに買ってくれた赤い自動鉛筆削りは大事に使って、今はお嬢が使っている大切な置き土産だ。あとは亡くなった後に形見分けでドイツ語辞書をもらっている。

祖母はというと、そういえば形見らしきモノは無い。それでも一緒に過ごした記憶はたくさんあったし、日々の生活に追われて忙しく過ごしていたので特に気にはならなかった。それがお嬢のおかげで、形はないけれど形見と呼べるようなものを祖母が私に残してくれていたことに気がついた。百人一首の唄とはなんとも素敵な贈り物だ。きっとこれからはどこでも百人一首を見るたびに祖母のことを思い出せるはずだ。

そして祖母が私に残してくれたように、私の母にもお嬢や坊やに物でない何かを残して欲しいと思う。モノより思い出、というCMが随分前にあったけれど、本当にまさしくそう思う。物はいつか無くなってしまうけれど、思い出や記憶はいったん忘れてもふと何かの拍子で鮮やかによみがえる。それはある意味、形見よりもずっと生々しく強烈であり、感動的ですらある。

おばあちゃん、素敵なすばらしいプレゼントをくれてたんだね。ありがとう。私はそのプレゼントをお嬢や坊や、そして将来その子ども達にあげられるといいな。
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